3月18日(日)は、前の道を何度も通過していたのだけど、寄る機会がなかなかなかった御前崎市の高松神社へサイクリングしてきました。
この日は天候は晴れ。天気予報的には風のない穏やかな天候のはずでしたが、実際は海に近づくにつれそれなりの風。
走行ルートは上の地図の通りでした。
まず、高松神社までの走行予定ルートの途中にある「黒田家代官屋敷」に寄りました。
江戸時代永禄年間にこのに居住した黒田家のお屋敷で、国指定重要文化財になっています。
右の茅葺き屋根の長屋門が主屋より古く、18世紀中頃に立てられたものだそうです。
左の奥が資料館。車止めが御駕籠型になっていました。
この日は場所の確認だけで中には入らず先へ進みます。
代官屋敷の前の道を南へ進むと牛渕川に行き当たりました。
グーグルマップの航空写真では堤防道路上の道が舗装してあるように見えなかったのですが、来てみたら舗装してありました。
今後のこともあるので、北に行くことになりますが、堤防道路を行ってみることにしました。
堤防道路へ入った地点へ戻る途中の公園でオブジェを発見。遠くから見たら「モアイ像?」と見間違いました。
銘板に「情熱と感謝」と記載されています。「代々見守る」とも書いてあるので、あながちモアイ像でも間違いないのかも。
そんなこんなで寄り道しながら「高松神社」に到着しました。
「高松神社」は、掛川市横須賀の「三熊野神社」と小笠山山頂付近にある「小笠神社」とともに「遠州の熊野三山」と称されているそうです。
県道372号に面した参道入口の一の鳥居です。奥には海抜65mの高さの本殿へとつづく213段の石段が見えます。
参道の東隣には広い駐車場。その上には「高松緑の森公園」。桜の名所だそうなので、その頃にまた訪れるかも。
参道の石段は登らず、一の鳥居から西へ戻った所にある道を自転車で登ります。
しかし、いきなりの急勾配。瞬時に自力で登るのは無理と悟りました。
ちょうど年配のご夫婦が登っておられたし、醜態を晒したくなかったので、勾配が緩やかになるところまで自転車を押して登りました。
海抜65mから見下ろした御前崎の街。そして一番奥に太平洋。
二の鳥居を通り過ぎた東側に駐車場があります。
駐輪場は用意されていなかったので、駐車場の奥の街灯にBANANA号を結わえました。
石段の上から臨む一の鳥居と風力発電の風車と太平洋。
二の鳥居を抜け最後の石段を登ったところから振り返った景色。ここへ来る時は晴れの日が良い。
拝殿右手に手水舎。
1762年に建て直された拝殿。
拝殿の右奥に御札授与所がありますが、この日は締まっていました。
神木の梛(なぎ)の樹。なぎは「凪(なぎ)」に通じ、家内安全、海上安全信仰の象徴。
葉は「引っ張ってもちぎれない」「二葉には表裏がない」ことから縁結びにご利益があるそうです。
御前崎市指定文化財の本殿。こちらも1784年に建て直されており、拝殿よりちょっとだけ新しい。
10月には祭礼があるそうですが、この日は参拝客は2、3名見かけただけでした。
駐車場前の道を東へ進んで広い道を南へ曲がり、次は菊川河口に架かる潮騒橋を目指します。
下に「潮騒橋全面通行止め」「工期3月16日」と看板が出ていましたが、潮騒橋はバリケードで通れませんでした。
でも、もうほぼ完成で養生中なのかも。春分の日には渡れるようになっているのかな?
この日は出発時刻が最近にしては珍しく早く、ちょうど正午頃にザ・ビッグで昼飯。
定番のマヨネーズいりお好み焼きと大判焼きです。
いつも店先でいただくのですが、この日はベンチしかなかったのですが、お店の方がわざわざ店の中からテーブルを出してくれました。
昼飯済んだらシオーネ前のそよかぜ広場へ移動。菜の花はまだまだこれからのようです。
何故か群れから離れた場所にポツンと咲いていました
次は武田信玄、勝頼と徳川家康が争奪戦を繰り広げた「高天神城跡」の入口まで来ました。
後ろのお山が山城の高天神城です。
城跡の東を南北に通る道路は登坂路ですが、道幅が広く新しい割に交通量が少なく、景色も良いので気持ちが良いです。
しかし、突き当たりを右折し東へ進むと、インナーロー、アウタートップを繰り返すジェットコースターのような坂道になります。
なんとか七曲池までやって来ました。天気も良いのでこの日も釣り人でいっぱいでした。
ここまで来ればサイクリングは終盤。あと一つ坂を登れば今日の予定はほぼクリア。14時ちょい過ぎには帰り着きました。
迷走距離:57.25km Av:16.41km/h