「見付天神 矢奈比賣神社」をあとにして、少し西へ移動するとすぐに「旧見付学校」に到着します。
「旧見付学校」は、1873年(明治6年)に開校した学校で、時代によって高等小学校、尋常高等小学校、国民学校と変遷。
この校舎は1875年(明治8年)から1922年(大正11年)まで使用された、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎だそうです。
係の人から言われここへここへ置いたのですが、「自立できない自転車は使ってください」と書いてありましたが、ちょっとロードバイクには辛いものがあります。
普通のサドルでぶら下げる式のサイクルスタンドの方がうれしいです。
校舎は5階建てですが、4階と5階は塔屋です。
入場は無料ですが、まず校舎前にある管理事務所で受付する必要があります。
受付といっても市内、県外、県内と別れた表に住所地(市名のみ)と来館人数を記入するだけです。
校舎内は土足厳禁で、スリッパに履き替え右側の入口から入ります。脱いだ靴は入り口前のスノコの周辺に置きっぱです。
履き替え用のスリッパの下足箱。
館内撮影は自由であると掲示されていました。
入口から右奥の教室に入ると、いきなりリアルな人形が登場しギョッとします。
机の上には教科書とノート代わりの黒板が置かれていました。
順路を進むと右手に屋外に通じる出口があり、すぐ近くにトイレがあるのですが、さらにその先に「磐田文庫」の蔵のような建物がありました。
校舎とこの「磐田文庫」は、ともに国の史跡に指定されているそうです。
校舎内には「磐田文庫もご覧ください。というような掲示があったのですが、多分気付かずに素通りする人が多いのかなと思いました。
校舎1階をさらに進むと、入口の左側にあったもう一方の出入り口にある職員室に来ます。
妙にリアルなおじさんが暗がりにいるのでビビります。
職員室前の階段で2階に上がります。
急な階段と思ったのですがまだマシで、さらに上に進むとより傾斜がハンパなくなっていきます。
教材のそろばん。
1936年(昭和11年)製のヤマハオルガン。
「やさしく弾いてください」と書かれていたので弾いてみました。足踏みペダルを踏んでいないと音が出ないのですが、音を出し続けるのが、これが意外と難しい。
謄写版印刷のコーナー。むかし高校生の頃によくカリカリやってました。
遊び道具のコーナーにはおはじきや羽子板、カルタなどを展示。
自由に手にとって遊べるコーナーもありました。
電気蓄音機がありました。
三橋美智也さんの「母恋吹雪」のレコードが置かれていました。
LPサイズなので78回転のSP盤でしょうか?
「少年世界」や「幼年倶楽部」などの雑誌コーナー。
さらに3階へ上がります。ちょっと階段が急になりました。
「手回し扇風機」というのもあるんですね。
部屋の中央には昔の農機具コーナーです。
頭を擦りそうなハシゴのような階段を上がると4階。
6畳くらいの広さですが、応接室や校長室であったと言われているようです。
最後の階段を昇ると一番てっぺんの5階です。
5階は太鼓楼で、現在は1階で展示されている伝酒井の太鼓が置かれていたそうです。
児童の登校の合図や正午の時報として毎日打ち鳴らしていたようです。
5階から南方への眺め。下に見えるのは学校の駐車場です。
階段をトントンと降りてくると、1階は昇った階段とは違う下足箱前の階段を降りてきました。
校舎から出てきたら時刻は14時を回っていました。風は午前中より強さを増したようで、昼飯も食べていなかったので予定していたヤマハコミュニケーションプラザなどを諦め、帰ることにしました。
ヤマハコミュニケーションプラザは、入場無料ですが特定の土日に休館日があります。
原付免許を取得したばかりの頃、最初に手に入れたバイクはヤマハの50ccだったので、ぜひ一度は行ってみたいものです。
V650の地図を見ると何処を走っているか分からない場所を示していました。
記録を中止し、再計測を試みましたが現在地の狂いは復帰しません。一旦電源を落とし再起動。GPSを捕捉しているのを確認し再挑戦。今度は正しい現在地に載っています。
昨年末くらいからサイクリングの後半でGPSの異常が頻発しています。困ったものです。
帰路は追い風でしたが、横風に煽られこともあります。掛川駅前のお店でたい焼きを買って無事帰還できました。
迷走距離:43.52km Av:15.23km/h